現代医療という名の宗教

医師会新年会、40代くらいの医師たちの集まりの席だった。

私の右隣りの席の医師が言った。

「現代医療という名の宗教ですね。」

それに対して左隣りの医師が言った。

「そう、evidenceという神様の宗教ですね。」と。

その席にいた医師たちは主に開業医や在宅医が多かった。
現代医療の果ての姿を目の当たりにしている医師たちだ。

緩和医療をしている私も同じ。

始めから現代がん治療と呼ばれる3大療法はしないと決めている方も多くいるが
3大療法をやり尽くした方々が多数を占めている現場。

その現場で目の当たりにするのだ。

医療という海を。そこに泳ぐ人間というの魚を。

過剰だ。なにもかもが過剰だ。

人間を無力な存在にしたてあげ、どこまでもどこまでも科学に頼らせる。
「あなたには力がない」と思い込ませて・・・。

緩和ケア面談でよく聞く言葉がある。

「もうこれ以上の抗がん剤治療はできないと言われました。
だから緩和ケアを探して下さいと。それはもう死を宣告されたようなものです。」

私は答える。

「間違えないで欲しい。抗がん剤があなたを生かしていたのではない。
あなたを生かしていたのはあなたの命、あなたの中にある力。抗がん剤という邪魔者はいなくなった。これから存分に命を燃やしてください。そして、そのサポートをするのが緩和ケアです。」

いつから人間は科学の力なしで生きることは不可能だと思い込んでしまったのだろう?
いつから人間は自分たちが生み出した科学を自分たちの上に置いてしまったのだろう?

これこそ、科学という名の宗教の出来上がり。

科学で命は作れない。
命が科学を作るのです。

それゆえ、その科学を書き換えるのも命である私たち人間なのです。

私は人類に呼びかけたい!

「人間、こんなもんじゃない!!」
「目覚めろ!人間のプライド.誇り 生命の最高のアートだ」
とあらん限りの声を張り上げて。

科学の限界は「存在はある」という幻想を事実だと見誤っているところにある。

それ故、人間は「この体という存在」であるという見誤った規定が人類500万年間脈々と続く。

科学の限界を越える時です。

「存在」の本質を見抜く時、
私たちは「人間とはなにものなのか?」それがはっきりと分かるのです。